誰もが自己愛的。違いは、それをどう扱うか。

「自己愛的」という言葉には、どこかネガティブな響きがあります。
けれど、自己愛は誰の心にも存在し、成長に欠かせない力でもあります。
今回は、“自己愛をどう扱うか”という視点から、心の成熟について考えます。


自己愛性とは、特別な診断名ではありません。
それは、むしろ私たちが成長していくうえで欠かせない、心の基盤のようなものです。

私たちは他者を愛する前に、まず「自分という存在」を学ばなければなりません。
その始まりは、乳児期の母親のまなざしの中にあります。

母親に見つめられることによって、赤ちゃんは「自分はここにいる」と感じることができます。
この初期の自己愛は健全なものであり、のちに「自己という構造」を形づくる重要な土台となります。


しかし、幼い頃に「認めてもらう」「価値を見てもらう」という基本的な欲求が十分に満たされないと、子どもは壊れやすい自己を守るための防衛を作り上げます。
その防衛は、誇大性・支配・迎合・引きこもりといった形で現れ、それぞれが後のパーソナリティ傾向の基盤となります。

たとえば――

  • 強迫的な人は、理性とコントロールの中に優越感を隠します。
  • ヒステリー性傾向の人は、他者から「欲望の対象」とされることで、自分の存在を確かめようとします。
  • 抑うつ的な人は、他者を理想化し、自分を責めてしまいます。
  • 分裂気質のある人は、繊細すぎる特別感を守るために、孤立へと退きます。

このように、自己愛は特定の性格や診断に限られたものではありません。
それは、あらゆる心的構造をつなぎとめる「接着剤」のようなものであり、
私たちが「自分が見えていない」と感じるとき、なんとか自己を保とうとする自然な試みなのです。


セラピーの中で出会う自己愛の核心には、いつも同じ願いが流れています。
それは――「恥や屈辱なしに、理解されたい」という切実な願いです。

セラピストの役割は、クライエントが「依存」「失望」「本当のつながり」を恐れずに経験できるよう、
その安全な空間を支えることにあります。


問うべきは、「自己愛的かどうか」ではありません。
大切なのは、「自分の自己愛性をどう扱っているか」ということです。

他者を拒んで自分を守っているのか。
それとも、他者へと近づくために自分を開こうとしているのか。
そこに、自己愛の成熟の違いが表れます。


フロイトはかつて、こう言いました。

「セラピーとは、愛によって癒される営みである」

私たちは、愛されることを通して、初めて自分を愛することを学びます。
そして、自分を愛する力が、他者を愛する力の源となるのです。

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