見捨てられた痛みと生き延びる工夫──依存症を愛着から読み解く
依存症は、単なる強迫や人格的な弱点ではありません。
それは「歪んだかたちの愛着(アタッチメント)」です。
幼少期に養育者が不在であったり、怖い存在であったり、不安定で一貫性のない存在だった場合、子どもは安心できる他者に頼れず、自分の内側の対処戦略に頼らざるを得なくなります。
精神分析家ジョン・ボウルビィはこう述べています。
「愛着への欲求――安心できる誰かを必要とすることは、食べ物や酸素と同じくらい自然なことだ」
この欲求が満たされなかった子どもの心は、発達の過程で“代わり”を探し始めます。
依存対象は、ただ気分を良くするためではなく、孤独感をやわらげ、心を安定させるための“心の義足(プロテーゼ)”として機能するのです。
薬物、食べ物、ギャンブル、ポルノ――これらは偶然選ばれるわけではありません。
人に代わって慰め、感情を調整し、望めばすぐに応えてくれる“代理の養育者”として働きます。
依存する人は、まるで子どもが「安心も恐怖ももたらす養育者」にしがみつくように、その対象にしがみつくのです。
依存症は「無秩序型愛着」に似ています。
必死で追い求めたあとに崩れ落ちるような状態が訪れ、一時的な安心感の後には恥が追いかけてきます。
このサイクルは、幼少期のトラウマのこだまのようなもので、かつての愛着パターンが行動化によって繰り返されているのです。
ボウルビィは、安定した愛着を持てなかった子どもは「抗議 → 絶望 → 切り離し(無関心)」というプロセスをたどると指摘しました。
依存に苦しむ人も、この流れを何度も繰り返します。
彼らが求めているのは快楽ではなく、「見捨てられたこと」の痛みを抱えながら必死に生き延びようとする行為なのです。
多くの依存症の人は「親密さは危険だ」と感じています。
なぜなら、生身の人間はコントロールできず、拒絶や喪失の痛みをもたらす存在だと体験してきたからです。
それに比べ、依存対象となる物や行動は感情的な危険を伴わず、安定した安心感を与えてくれる存在として選ばれます。
愛着という視点を持たなければ、依存症を単なる「病気」としてしか見られず、「生きのびるための適応行動」として理解することができません。ボウルビィはこう教えています。
「子どもが養育者にしがみつくのは弱いからではなく、つながりを失うことが怖いからだ」
そう考えると、依存症とは、不安定で一貫性のないケアを受けたときの“しがみつき”そのものなのかもしれません。
依存症からの回復は、単に依存行動をやめることではなく、新しいかたちの「つながり」を学ぶことです。
その意味で、セラピストとの治療的な関係は特別重要になります。
時間をかけて「常にそこにいて、心に寄り添ってくれる他者」との関係を築くことが、やがて依存対象の代わりとなり、心の修復へとつながっていきます。
依存症の回復は、「やめること」よりも「つながること」を学ぶ旅です。
ひとりでは難しいことも、安心して話せる誰かとなら、少しずつ新しい生き方を築くことができます
カウンセリングは、あなたを評価したり裁いたりする場ではありません。
これまでの痛みや孤独を抱えたままでも大丈夫です。
あなたのペースで、あなたの言葉で話すことから始められます。
心の中にある“しがみつき”が、少しずつ“安心できるつながり”へと変わっていく──その過程を、私たちは一緒に歩むことができます。

