過去が今に生き続ける?
私たちは、幼少期の様々な体験を通じて、世界について学び、原本やテンプレートのようなものを身につけます。
例えば、
- 他者に何を期待すれば良いか
- 対人関係でどうふるまえば良いか
- 他者からのケアや注目を得るにはどうすれば良いか
- 怒られた時にどうすれば良いか
- 他者に承認されるためにどうすれば良いか
- 失敗するのはどんな気持ちなのか
- 愛するとはどういうことなのか
などです。
生きていく上で、これらのテンプレートや原本を、適用できなくなるまで、新しく出会う場面に適用し続けます。
そのため私たちには、現在を過去のレンズで見るため、過去のことを繰り返し、再生する傾向があります。
ワーズワースの言葉を借りると、”子どもは、人間の父である。”です。
それでは、いくつか「過去が今に生き続けている」例を見てみましょう。
「過去を繰り返す」事例
【事例①】冷たい父親を持つ女性A
父親が冷たい感情を示すため、Aの愛に対する初期の体験は、情緒的に乏しいものになりました。
大人になりAは、情緒的応答性の低い男性に惹かれ、情緒的に答えてくれる男性には興味がわきません。
このAの人間関係はセラピーでも再現する可能性があります。
男性セラピストが退屈でぼーっとしている時は、彼女はセラピストを強くて大事な人物として見ます。
反対に、セラピストが注意深く話を聞いて、思いやりを示しているときは、彼女はセラピストを人当たりの良い、退屈で、彼女にほとんど役に立たない人物と見るでしょう。
【事例②】体のどこかが悪く、体調がすぐれない時にだけ母親の注目を浴びる女性B
Bの体調がすぐれない時、母親は子どものケアをして、溺愛します。
Bが大人になると、夫に無視されていると感じた時に身体症状を出すようになります。
これは、夫の注目を得るための無意識の働きだと思われます。
残念ながら、夫は応答してくれず、Bは言葉にできないほどの困惑を感じて、裏切られた気持ちになります。
セラピーでは、彼女は自分の身体症状について語るも、自分の気持ちを表現する言葉が見つけられません。
Bは、セラピストは自分の身体症状や体の痛みにしか興味がないと思うため、セラピストに自分の気持ちについて話してほしいと言われると困惑するでしょう。
【事例③】幼少期に性的・身体的虐待を受けた女性C
Cの人生のドラマの登場人物は、加害者、被害者、救済者です。
大人になって彼女は、裏切られ、被害に逢う状況においてこの関係性を再現し、自分を救済してくれる者を探し、被害者・加害者関係性をその救済者と再現することになります。
セラピーでは、初期段階において彼女はセラピストを理想化し、自分を救った救世主のように扱います。
セラピストは、彼女の理想化と強烈なニーズに答え、追加面接を予約したり、面接の時間超過を許可したり、夜の電話を受けたり、面接の終わりのハグなどの要求に答えたりします。
しかし徐々にセラピストは圧倒され、消耗します。そして制限を設けるようになります。
それによって、彼女は見捨てられ、裏切られ、激怒します。そして、セラピストに対する倫理的訴訟を起こし、専門的境界線を守れなかったことを指摘します(今度は自分が加害者となり、セラピストを被害者にする動きと言えます)。
結局、Cはこのセラピストからの被害を癒してくれる次のセラピストを探すことになり、過去のパターンが繰り返されることになります。
まとめ
過去の経験を通さずに今の出来事や体験を受け止め解釈することは不可能です。
これは、他に機能する方法が存在しないからだと言えます。
過去の体験が現在の体験を意味づけし、私たちの捉え方、解釈、反応を形作ります。
例えば、子どもの頃に愛され、大切にされ、ケアされた人が、配偶者の死を経験すると、その人は深い悲しみの末再び配偶者を愛することになります。
一方、子どもの頃、拒絶体験、喪失体験、失敗体験の連続だった他の人が同じく配偶者の死を経験すると、その人にとって今回の喪失は、これまでの喪失体験の要約として捉えられ、自分の人生において努力は無駄であると思うようになるでしょう。
このような人は、重度の怒りに満ちた鬱に陥り、なかなか回復しません。
どちらも「喪失」という客観的な外的要因は同じですが、出来事に与えられた心理的な意味は真反対といえます。
どんなセラピーも、「今に生き続ける過去」を扱います。
認知行動療法であれば、既存のスキーマに新しい体験を取り入れることを目的とします。
家族療法であれば、世代的に家族の力動が繰り返されていることに注目するでしょう。
行動療法であれば、学習歴や刺激の一般化について扱います。
精神分析的セラピーであれば、過去の体験の縛りを緩め、新しい可能性を作ることに注目すると言えます。
自分の過去がどのように今に影響しているかについて、一度セラピーで考えてみてはいかがでしょうか。

