欲望とは何か――精神分析からみる「生きたい気持ち」とその恐怖
精神分析の世界で語られる「欲望」は、単なる“欲しい”という願望ではありません。それはむしろ、「自分には何かが欠けている」という深い感覚に触れたときに生まれるものです。しかし、この“欠け”に向き合うことは、多くの人にとって想像以上に怖いことでもあります。本記事では、欲望・生の恐怖・防衛・症状の意味などを、心理学的にやさしく紐解きながら、私たちがより「生き生きとした自分」を取り戻すとはどういうことかを一緒に考えていきます。
精神分析的にみる「欲望」――それは“欠け”の感覚
精神分析でいう「欲望」とは、単に何かを“欲しい”と思う気持ちではありません。
それはむしろ 「自分には何かが足りない」 という感覚そのものです。
しかし、この“足りなさ”に触れることが、ある人にとっては耐えがたい経験になります。
なぜなら、何かを欲しがるという行為には、失うこと・拒絶されることへのリスクが伴うからです。
そのため、一部の人は無意識のうちに「欲望すること」を避け、代わりに 苦しみを選んでしまう ことがあります。
もちろん“苦しみたい”からではありません。
ただ、「欲しがることのリスク」よりも「苦しんでいる方が安全」に感じられてしまうからです。
欲望するとは、自分を開いていくこと
欲望するということは、
- 未知のものへ開くこと
- 自分以外の他者にゆだねること
- 愛の可能性を許すこと
- 自分のコントロールを手放すこと
こうした、生きることそのものに身を開く行為でもあります。
「生の恐怖」と「死の恐怖」――二つの力の葛藤
少し抽象的ですが、欲望は 「生の恐怖」と「死の恐怖」 の葛藤として語ることもできます。
- 死の恐怖:
私たちを「生きたい」「欲望したい」と前へ駆り立てる力 - 生の恐怖:
感情の大きさや他者とのつながりの重さを前に、私たちを後退させ、引きこもらせる力
この二つの力の間で、私たちは日々揺れ動いています。
症状とは、内なる生命力のゆがんだ表現かもしれない
もう少し考えてみましょう。
もし、あらゆる症状――不安、抑うつ、依存、衝動――が
ただの痛みの結果ではなく、「向かう先を失った生命力の現れ」だとしたらどうでしょうか。
セラピーの場に来る人の中にも、
- ワクワクする自分
- 創造性を発揮する自分
- 性的な欲望を持つ自分
- “生き生きする瞬間”
これらを怖れる人が少なくありません。
なぜなら、生き生きとすることには、強い感情も、失う可能性も伴うからです。
防衛とは、トラウマだけでなく“欲望そのもの”から身を守るためのもの
多くの防衛は、
“過去のトラウマ”だけでなく、
欲望そのものを避けるために働くことがあります。
- 強い感情に飲み込まれるのが怖い
- 自分の存在感が大きく出すぎるのが怖い
- 他者からの反応が怖い
そうした恐れから、私たちは欲望への扉を閉ざしてしまいます。
依存症、完璧主義、うつなどの状態は、
内側から湧き出る生命力を“麻痺させる自己鎮痛剤” のように働くことがあります。
もちろん、本人が意図して選んだわけではなく、無意識的に身についたものです。
セラピーの目的は「修理」ではなく、生き生きとした感覚を取り戻すこと
セラピーが目指すのは、症状を単純に“修理すること”ではありません。
むしろ、
- 自分の生き生きとした感覚を耐えられるようにすること
- 感じることに耐え、欲しがることに挑戦できるようになること
この二つが大きなテーマです。
「私たちは皆どこかで“自分を編集して”生きている」
精神分析家アダム・フィリップスはこう語りました。
「私たちは皆、どこかで“自分を編集して”生きている。」
人とのつながりを守り、受け入れられるために、
私たちは人生のどこかで 自分の欲望を押し殺さざるを得なかった のかもしれません。
セラピーで問われるのは、
- 「自分は、どんな欲望を押し殺して生きてきたのか?」
- 「その欲望を、今あらためて取り戻す余地はあるだろうか?」
という問いです。
一緒に考えてみませんか
あなたが抱えている痛みや恐れの背景には、
“生きたいという力”の影が潜んでいる かもしれません。
ぜひ、一緒に考えてみましょう。

