トラウマの脳科学 :「人はつながりによって回復する」という脳の仕組み

人間の脳は、孤立ではなく“つながり”によって健康を保つように設計されています。
けれど、そのつながりの相手から傷つけられたとき、脳は深い混乱に陥ります。
ここでは、対人トラウマが脳にもたらす影響と回復のメカニズムを探ります。


■ 他者との「つながり」が脳を守る

人間の脳は、ストレスがかかったとき、他者とのつながりによって健康を保とうとします。
病気や災害、喪失などの出来事に直面すると、私たちは本能的に安らぎや安心を求め、誰かの助けを求めます。

信頼できる人と結びつきを保てている限り、私たちは多くの困難を乗り越えられます。
けれど、もしその「信頼し、依存していた相手」から傷つけられたら――何が起こるのでしょうか。


■ 対人トラウマの「接近と回避」の葛藤

対人トラウマは、非常に複雑な課題を突きつけます。
特に子どもにとっては、生物学的にも行動的にも矛盾する反応を引き起こすのです。

支えを求めて誰かにすがりたい一方で、自己防衛のためにその人を突き放したくもなる。
この「近づきたいけど避けたい」という接近・回避の葛藤こそが、対人トラウマを有害にする要因です。

この内なる矛盾が固定化すると、「無秩序型愛着」として表れることがあります。


■ 「信頼の崩壊」がもたらす長期的な影響

トラウマの渦中では、他者との距離を取ることが一時的に適応的かもしれません。
しかしその結果、回復に必要な関係性から自分を切り離してしまうことになります。

とりわけ幼少期の対人トラウマは、人格の形成に深く影響します。
「接近・回避の葛藤」が恒常化し、それが生涯にわたる人間関係の土台になってしまうことがあるのです。


■ 子どもの中で起こる「愛と恐れ」の同時反応

恐怖を感じている、あるいは恐怖を与えてくる親を持つ子どもの行動には、
この内的な葛藤がはっきりと現れます。

ストレスを感じたとき、子どもは親に駆け寄ろうとしながら目をそらしたり、
突然くるくる回ったり、床に倒れ込んだり――一見、非合理的な行動を取ります。

子どもにとって、「親に近づきたい」という衝動と「親から逃げたい」という衝動が
同時に起こるため、安全な愛着関係を築くことが不可能になってしまうのです。


■ トラウマの長期的影響と脳の変化

幼少期の対人トラウマ、身体的・精神的虐待、性的虐待、ネグレクトは、
脳の構造や機能に深刻な影響を与えます。

特に、養育者によるトラウマは最も破壊的で、
「複雑性PTSD」や「パーソナリティ障害」といった長期的な心的外傷反応へとつながります。
その影響は情緒・社会性・認知のすべての領域に及び、治療を難しくする要因となります。


■ 回復を妨げる「信頼できなさ」のループ

パーソナリティ障害の根底には、この接近と回避の葛藤があります。
回復のために必要なのは「安全感・信頼・つながり」。
しかし、脳と身体が関係性そのものを「危険」と学習してしまっているため、
他者を信頼できず、こうしたループに陥ります。

孤独 → 近づきたい → 恐怖 → 避けたい → 孤独……

この悪循環から抜け出すのは容易ではありません。
何年もセラピーに通っても、セラピストを信頼することが怖く、
「安全な孤立」の中で苦しむ人も少なくありません。


■ 解離という「生き延びるための戦略」

感情を調整できないとき、人はしばしば「行動化」や「逃避」によってバランスを取ろうとします。
物理的に逃げられない場合、現実から解離することを学びます。

虐待を受けている子どもは他人の顔を見なくなり、表情の読み取りが難しくなります。
仮に見たとしても、批判や怒りなどネガティブなサインを過剰に警戒します。
現実があまりに苦痛になると、空想の世界へ逃げることもあります。


■ 「社会的脳」が戦場になる

幼少期の対人トラウマは、社会的脳のすべてのシステムを
「防御モード」で作動させるように形成します。

本来、他者と柔軟に関わり合うための脳の仕組みが、
危険を予測し回避するための装置へと変わってしまうのです。

  • ミラーシステム(共感の脳)は「守りのため」に使われる。
  • 愛着スキーマ(関係を築く脳の戦略)は「戦闘計画」になる。
  • 相手の表情を見るときも、受容ではなく拒絶のサインを探してしまう。

その結果、感情調整のシステムは恐怖と興奮に偏り、
身体は常に「警戒モード」に入り、健康さえ犠牲にして危険を察知しようとします。


■ 報酬系のゆがみ ―「安心」より「刺激」へ

本来、愛する人との接触を通じて幸福感を得るはずの報酬システムも、
トラウマによって歪められます。

安心よりも、刺激・リスク・痛みを求める方向に変化し、
薬物・アルコール・強迫的行動・自傷といった形で代償されることがあります。

こうして形成された脳は、
人との関係を「心が育つ場」ではなく「地雷原」として感じるようになります。


■ 回復は「安全な関係」から始まる

対人トラウマは、心と体の両方に深い影響を残します。
しかし、回復は可能です。

そのためには、安全で信頼できる人間関係の中で、
少しずつ「自分を取り戻す」プロセスが必要です。

セラピーは、そのためのひとつの道です。
もし今、孤独や不安を抱えているなら、
どうか一人で抱え込まずに、信頼できる誰かに助けを求めてください。

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です