親密さが怖いのに求めてしまう──心の中の矛盾
私たちは物事に対していくつかのとらえ方(見方)を持っています。
1人の人に対して同時に嫌な気持ちを抱くことがあれば良い気持ちを抱くこともあります。
また、あるものを欲しいと思い、同時にそれを恐れることもあります。
欲しいものの中に矛盾しているものもあったりします。
つまり、人間の気持ちは単純ではなく、非常に複雑であり、時には矛盾して葛藤を抱えることもあるということです。
アメリカの小説家フィッツジェラルドの言葉を参考にすると「賢明さとは、頭の中で矛盾する二つの考えを持ちながらも機能し続けることだ」ということになります。
精神分析的心理療法はこの賢明さを育てる営みでもあると言えます。
「アンビバレント(対立)」という言葉は、内的な矛盾を示します。
この場合の対立は、心の中の対立・不協和の意味を持ちます。
私たちは、このような自身の矛盾に気づいた時に、大抵矛盾する気持ちのどちらかを否認する形で解決を図ろうとします。つまり、意識から取り除く形で対処しようとします。
しかしながら、否認された気持ちは必ずどこからか漏れ出てしまいます。
そうすると、私たちの言動に行き違いが生じるようになります。
例えて言うと、車の運転をする際に片足でアクセルを踏みつつ片足でブレーキを踏む状態だと言えます。
このままの状態だと、どこかにはたどり着けるかもしれませんが、不必要な努力をすることになるでしょう。
今回はこの葛藤について、親密性と怒りの観点から見てみましょう。
親密性と葛藤
多くの人は親密性に対して葛藤を感じます。親密な関係性を持ちたいけれど、なぜかそれが叶わない相手を選んでしまうというのがよくある例です。
このような関係性は、親密性を望みつつ依存への恐怖感を表す無意識の妥協だと言えます。
いくつか具体的な例をあげてみましょう。
同時に何人かに対して興味を示し、関係性を持っている人がいたりします。
このような人は常に、どれが一番自分にふさわしいかについて決められず苦しんでいます。
しかし、それと同時に、複数人と同時に関係性を結ぶことで、誰とも親密な関係性を持たずに済むことを確保していると言えます。
もう一人の例は、自分の優しくケアされたい、守られたいという欲望を認めたくない人です。
こういった欲望は、弱いものが持つものだとしていて、いつも無関心で冷たい、時には敵意のある相手を選んでしまいます。その理由は、こういう相手は自分が不快に思う欲望を搔き立てることはないからだと思われる。しかし、この人は、自分の親密性のない関係性に不満を持っている。セラピーを受けることで、自分は優しく暖かい関係性を望んでいることに気づき、受け止めることができた。その時初めて、自分を愛して支えてくれるパートナーを選ぶことができた。
怒りと葛藤
次に怒りに関連する葛藤について見てみましょう。
世の中には、自分の怒りを意識し、表現することへの難しさを抱えている人がいたりします。
このような人は、代わりに、自罰的で、自己破壊的な行動を取ることが多いと言えます。
怒りを否認する理由は様々です。例えば、以下のようなものがあります。
- 仕返しを恐れている
- 自分の怒りが愛する他者を傷つけると考えている
- 怒りが拒絶と見捨てられ不安を掻き立てる
- 怒りが「優しい」という自分の自己イメージにそぐわない
- 自分に優しくしてくれる他者への怒りに対して、罪悪感と恥を抱くことになる

